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英語とわたし⑤大学時代(留学前)

こんにちは、machiです。
(簡単な自己紹介はこちらからどうぞ)

今回も引き続き、「英語とわたし」の記事です(^o^)
これまでの記事はこちら→①幼稚園時代 ②小学校時代 ③中学校時代 ④高校時代
英語学習とは直接関係ないかもしれませんが、興味がある方は読んでもらえると嬉しいです(^v^)
今回は大学に入学後、3年次に休学してカナダに行くまでの2年間についてです。
かなり濃い2年だったのでまた長くなってしまいそうですが、なんとかまとめたいなと思います(´▽`;)

念願の外国語学部英米学科に入学!しかし…

高校時代、成績があまり良くなかったので担任の先生に「(合格率を上げるために)英米以外の学科にしたら?」と何度も提案されましたが、断固として拒否して英米学科と英語に関係する学科に絞って受験!
高校時代は伸び悩んでいた英語だけど、やっぱり好きだから軸を変えたくありませんでした。
結果、私立も公立も英米学科に合格でき、見事夢が叶いました(^o^)諦めなくてよかった〜(*^^*)

と、入学するまでは大喜びだった私ですが、入ってみたら同級生の英語レベルの高さに愕然_| ̄|○ il||li
おそらく私はギリギリで入れた+推薦で入った子たちはすでに英検準1級合格するレベル+帰国子女ゴロゴロで、今までの「英語ができる(得意な)自分」から「英語ができない自分」になり、一気に劣等感の塊に。

そして今も忘れやしません、大学一発目の英語の授業”Communicative English”d(・∀・`*)
そもそもALTの先生の授業くらいしかネイティブの英語を生で聞くことなかった私。大学に入ってネイティブの先生の英語が聞こえるわけがない( ̄▽ ̄)!
その先生の授業は、英語はSyllable(音節)を気をつけて読むことが大事だよ!という内容だったと思うのですが”hamburger”を”ham”, “bur”, “ger”に分けて発音し、それを何度も練習して、多分他になにかやってって言われたんだと思いますが、何をしたらいいのか全くわかりませんでした(´▽`;)
そしてトドメは出された宿題が1ミリも理解できない(笑)
こんなふうに英語の授業はスタートし、それはそれは不安な幕開けで「これからどうなっちゃうんだろう…」と思いながら帰りましたd(・∀・`*)

案の定ほとんどの授業はよく分からず、できるものはできるだけ頑張ったけど、悲しいことに入学時に受けたウェブテスト(CASEC)を学年末に受けたらスコアが下がっていました_| ̄|○ il||li
毎回出席していたし、提出物も出していたので成績自体は良かったですが、1年間なんの成長もなかった、むしろ退化したんだと感じ、本当に落ち込んで1年生を終えたのでありました。

はじめの1年ですごく伸びたこと

↑で書いたとおり、読んだり書いたりはつまずきまくっていた私ですが、1年生の終わり頃のある日、家でたまたま英語を読んでいたら「いつの間にそんなに発音上手になったん?すごいやん(^o^)!」と両親に褒められました。

それはまぎれもない“English Phonetics”という英語音声学の授業(とその先生)のおかげでした。
授業中に音読を当てられ、うまく読めるようになるまでみんなの前で発音練習させられるという超スパルタで、それはそれは毎週ハラハラドキドキしながら受けていたのですが、しっかりそこで鍛えられたみたいです。(みんなこの授業はトラウマになったと言ってました・笑)
いろんな音の種類を学んだり、英語独特の音の出し方を学んだり、今となっては本当にありがたかった授業だなと思います。
私はこれで音声学にすごく興味を持って、4年次は日本語の音声学も追加で取って楽しみました(ˆ ̳• ·̫ • ̳ˆ)

理解不能な授業が続く2年生

2年生になるとプレゼミみたいな感じで、自分の興味のある学問を選んで教科書を精読する授業がスタート。私は英語教育学の授業を受け始めたのですが、教科書を1ページ読むのに1時間以上かかるという地獄_| ̄|○ il||li(笑)そして調べて読んでも理解不能d(・∀・`*)
当時の私はすべてを日本語にきれいに訳さないといけないと思っていて(しかも先生も自分で気づくまで教えてくれない)、”input”を何度も辞書で調べては「入力?ここの文脈で入力ってなに?はて」と思いながら、わけわからない日本語訳を作成してました( ̄▽ ̄)インプットでいいのにね(笑)

もうひとつとても印象に残っている理解不能だったものが、アメリカ人の先生がしてくれたMervelのマンガを読んで考察するというディスカッションの授業。
スーパーマンの裏話ではないですが、筋肉隆々にするための薬の開発の話などがメインで、そこには軍隊が絡んでいて、何回も何回も軍隊の階級の単語を調べてもちっとも頭に入りませんでした(´▽`;)そんなんだからマンガの内容なんて分かるわけないですよね(笑)
でもAll Englishの授業だったから妥協はしたくなくて、拙い英語+内容は理解できてないながらも頑張ってグループの中では発言していましたd(・∀・`*)

そしてライティングの授業では、言いたいことが自分の英語で全然表現できないから、和英辞典に出てきた表現を使って書いた文を提出したら、フィリピン人の先生になみなみ線を引かれ「?」と書かれました(笑)
ビックリですが、本当にそのレベルの英語力しかありませんでした(´▽`;)

もがき苦しんだ2年生の終わりに受けたCASECでは、前年比130点アップ\( ˆoˆ )/
コツコツ頑張って英語と向き合った結果、力はついたようでした( ◠‿◠ )この時やっと「気づかないうちに成長してるんだな」と喜びを感じました(^v^)

当時のTOEICの点数は

こんな英語力だった私が初めてTOEICを受けたのが2年生の5月。
1年終了後の春休みからコツコツ勉強し始めてようやく受けたのですが、その時の日記を読み返してみたら「全然わかりませんでしたd(・∀・`*)」と一言(笑)その時の感覚覚えてます(´▽`;)本当に分からなくてアセアセしながら解きました。

でも結果は620点。スコアだけ見ると初めてにしては結構良さげな点数に見えますが、その時の私の感想は「え、こんなに分からなかったのに620点も取れた」です。
ということは、620点だったら英語理解できてるって全然いえないということ。なんとなく知ってる単語が増えてきてる段階、とでもいいましょうか。絶対の確信が3割、「たぶんこれ」が4割、「適当に決めた」が3割くらいかなと思います。
当時はビジネスの背景知識もなかったし、そういう意味でも難しかったな〜と思いました。

英米学科なのに全然英語できてなかったんだねと思われると思いますが、これが現実です。
それまでに海外に住んでいた経験があったり、それこそ英検準1級取れるレベルの子たちは別として、入学レベルですでに英語をスラスラ書いた理話したりできる子はそんなに多くはいませんでした。

今思い出しても1,2年生の2年間は本当に授業が難しかった思い出しかないですね(笑)分からないなりによく頑張ったなと思います(´▽`;)

次回から留学時代の内容に入りますが、話したいことがたっくさんあるので、数回に分けて書いていきます♪
Thank you for reading!

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